非モテ独女ブログ

非モテ独女が32歳で初彼氏をゲットするまでに行った意識改革や行動の経緯。

▼男性不信の原因。警察沙汰になった、幼女の私と変質者との遭遇。

 

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幼少期の頃、変質者によく遭遇していました。


記憶に残っている変質者は以下のとおりです。

※性犯罪です。軽いとはいえ気分を悪くされる方が
いるかもしれませんのでご注意下さい。


  • 4歳時、若いお兄さん2人組にパンツを下ろされアソコの匂いをかがれる。
  • 小3時エレベーター内で、オジサンがピッタリと身体を寄せハァハァしてくる。
  • 小5時、オジサンに狭い暗闇に連れられ「チ◯コを持っててくれ」と頼まれる
  • 小6の頃、同級生の男子におっぱい揉まれる。
  • 他に客のいない電車内で男が私の隣にピッタリ寄り添いじっと見つめてくる。
  • 原付きで知らないオジサンが追いかけてくる



他にも、なんかちょっと変だなって人にはよく遭遇していましたが
女性の人生とはそういうものなのだと思っていました。

幼少期の方が危険な目にあっていた率が高いです。


子供を狙った性犯罪だけは、本当に今でもニュースとかで目にすると
苛立ちでいっぱいになります。

私は美少女でもなんでもありません。

そして犯罪を犯した人も、見るからにブサイクとかではありません。
4歳位に出会った変質者は大学生風の若いかっこいいお兄ちゃんだった
記憶があります。


子供なら逃げきれるだろう…という奴らの餌食になりやすいのでしょう。
私の男性不信のきっかけになるには十分の出来事でした。


中でも記憶から消し去ることが出来ない2つの事件をお話します。


1つ目の事件:パンツを下ろされ、アソコのニオイを嗅がれる


4歳位の時です。自宅マンションの駐車場で1人で遊んでいました。
大学生風の男のお兄ちゃん2人に話しかけられ、「ついてきて」と自宅マンションの
薄暗いフロアーへ連れて行かれました。

そこで二人組はなぜかふた手にわかれて別行動。

まず、1人目の大学生風の変質者は「ちょっと検査するね」的なことを口走り
私は幼女パンツを下ろされた私の股間に、お兄さんは顔を近づけて
アソコのニオイをくんかくんか嗅いでいました。

もちろん私は、自分が何をされているのかわからないですし、
「嫌だ」という感情があるわけでもなく、ただ匂いを嗅がれているだけ。

おしっこをする所だから、汚いのになぁという感想と、
このお兄さんはお医者さんかな?と感じました。

ただ匂いをかがれるだけで、乱暴にされるわけでもなくソレ以上のこともありません。


2人目の大学生風の変質者は、エレベーターの中で話があるといい、
二人っきりにされました。そこでお兄ちゃんは神妙な顔つきで
「将来結婚してくれる?」と、将来の結婚のビジョンを語っていました。
本当に、ただ、それだけ(笑)

幼女の私はなんだか、可哀想なお兄ちゃんなんだなって結婚の約束を
してしまったのを今でも思い出すのですが、奴が将来の独女である私を
迎えに来るようすはこれっぽっちもありません。約束したのに!!!!!


幼少期です。「怖い」という感情も「気持ち悪い」という感情も
何をされたかも、年をとるに連れてなんとなく理解してきたくらいです。
顔も、会話の内容も、あまりおぼえていないけれど
ただ何をされたかの記憶だけは鮮明に覚えている。

そして、それが悪いことだという意識は無かったくせに、
なぜか両親にはしゃべってはいけない事をされた気がする…という感情だけは
子供のくせにあったのです。

これは今でも親には話せていません。

30を過ぎた頃、親しい友人に話せるようにはなりました。
笑い話にすることにより、1つの呪縛から逃れられた気がします。




2つ目の事件:オッサンに「チ◯コを持っててくれ」とせがまれ、乳も揉まれる。



警察沙汰になりました。

小学五年生の頃です。下校途中、友人より少し早めに歩いていた私は
帰り道の途中でオジサンに「この辺で近くのトイレはどこかな?」と
訪ねられました。

学校か、公園を教えましたが、どちらも少々距離がある所でした。

「どうしようどうしよう」困っているオジサンが、「ちょっといいかな?」と
近くの民家の駐車場の隙間のような暗くて狭い通り抜けできないような所へ
私を誘導しました。

私はなんというか、困っている人を助けてあげなくては!という
気持ちで行動をしていた気がします。



狭い場所で、逃げ口は完全に変質者のオジサンで塞がれている状況です。
私はオジサンに背を向けた状態で、僅かな隙間から立ちション姿を
ガードするような形で立たされました。

後ろでオジサンが何をしているのかはわかりませんでしたが
カチカチカチ…という音が聞こえてきました。

私はそれをカッターの刃を出す時の音だと思い
完全に恐怖に震えてしまったのを今でも思い出します。

もしかしたら、あのカチカチ音は、
かなりゆっくりチャックを下ろす音だったのかも
しれませんが真相はわからないままです。

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とにかく怖かった。

それから、オジサンはちょっと「これを支えて欲しい」と
ズボンからチ◯コを取り出し、私に持てと命令しました。
口調は常に優しいのです。でも逆らったら殺されるような気がしました。

しかし、はじめてお父さんや兄や、近所の子供以外のイチモツを見た私は

鮮やかなピンク色の大きな亀さんを目の当たりにし、

『きったねーーーーーーーーーーー!』


と心のなかで絶叫し、「嫌です、無理です、ごめんなさい」と平謝りしました。
この時も、自分がチカンにあってる自覚はあまりなかったのですが
なんか全力で身体が拒否したわけです。

「ちょっと今日調子悪くて…」などと、よくわからないOLの仮病みたいな
言い訳をツラツラ並べていました。

オジサンはどこが悪いの?ここかな?ここかな?と
身体を触ってきて、あまり発達していない胸を揉み始めました。

それもまた気持ち悪くて、「やめて下さい」と私はずっと懇願していました。


そんな中、狭い暗闇のわずかな隙間から、一緒に下校してた友達たちが
楽しそうに通って行くのが見えました。


しかし、叫んで助けてもらおう!と頭では考えることが出来るのに
恐怖で声がまったく出ないという経験をそこで味わうわけです。

変態行為の時間は5~10分くらいだったのかも知れません。
永遠に感じられました。

「もう帰らないと」と声を絞り出し、幸いな事に返してもらうことが出来ました。

チカンに注意という看板の近くでまさしくチカンに会ったわけです。
ひどく天気の良い日で、いつも通う通学路で。

犯罪に巻き込まれたというのは、小学5年生でしたのでなんとなく理解は出来ました。

しかしやはり、親には喋ってはいけない出来事であると思いました。


足早に現場を後にし、着いてきていないことを確認し
家の前で深呼吸し、何事もなかったように帰宅。

いつも通りただいまって玄関を開けたら、お母さんが「ん?どうしたと?」と
開口一番に聞くものだから、母親ってのは本当に偉大です。

お母さんの顔を見た途端に私は、「生きて帰れた!」という気持ちと同時に
何かが壊れたかのように涙が溢れて止まらなくなり、大号泣でした。

尋常じゃない泣き方ですので、秘密にすることも出来ず、母に近所で
変な人に会った事を伝え、母はすぐさま学校に電話をいれていました。
すごい早くて「待って!恥ずかしいからやめて!」という隙も
与えてくれません。しかし、犯人がまだうろついてるかもしれないし懸命な判断です。

そこからは、警察に事情聴取され、私の全体写真を取られ
犯人の特徴を聞かれ、変質者がちょっとだけ親戚のおじさんに似てたので
おじさんが疑われるんじゃないかと心配で、ボヤかして伝えてしまいました(笑)

あと、チ◯チ◯を恥ずかしすぎてどう伝えたらいいのかわからず
すんごいモジモジしてしまったのを思い出します。

あの頃の自分に言ってあげたい。

あなたは大人になったらチ◯コやチ◯チ◯を
一度全部文字を打った後に、「ン」の所だけ伏せ字にするような
たくましさを手に入れることが出来るよって。

チ◯コの特徴だけは、すごい覚えていたのだけど
年齢はどのくらい?と聞かれても、今でもそうだけど人の年齢なんて
ピンと来ないので難しい質問だった。

母親がこの時、うちの子絵が得意だから似顔絵書かせますとか言い出した時は
ここでプチ娘自慢はやめて!と思ったw

やはり、顔や姿形はあんまり覚えてなくても
何をされたかだけは、何十年経っても覚えている。
あの恐怖感。嫌悪感。やたらピンクだったなという無駄な情報w

幼少期の頃より、物心付いているので余計に印象深いです。




警察はこの時、「お友達とか誰にもしゃべらないからね」と約束してくれました。

そして次の日、全校生徒に早速でバレていました(笑)

同級生の男子には、「昨日チカンにあったとってマジ??」と
速攻で聞かれました。

どこでバレたのかわからないけどたぶん、あそこのマンションの小学生が
チカンに会ったみたいで…と警察がしゃべっただけでもすぐ特定されるような
人数少ない学校だったので仕方ないかもしれませんが、
男性不信ついでに警察不信にもなったものです。

しばらくは、
友人と一緒に下校しなかった自分に責任がある。
大声を叫べなかった自分に責任がある。
不用意に知らない人について入った自分に責任がある
という目では見られましたね。

恐怖で声が出ないという経験は、すごく貴重だったと思っています。
叫んだら殺されると身体が判断してしまうのです。
頭の中では叫びたい気持ちでいっぱいなのに。


レイプ事件などで、被害者も半分悪いんでしょみたいな
ゲスパーをしている人は、平和で幸せな人生を送ってきたのだと思います。
幸せなことです。これまでの人生でひどく怖い思いしなくてよかったですね。


その後、警察は犯人候補の写真などを一覧で見せてくれたり、色々近所に
聞いて回ったりしてくれてたみたいだけど、犯人は捕まらず。

同級生の女のコが、似たような変質者に声かけられたよって
こっそり私にだけ話してくれたことがありました。

こうやって子供ながらになんとなく大人に心配かけちゃうから話せない。
って感じで性犯罪って、表に出ないものたくさんあると思います。

しかし、どんだけ幼少期だったとしても何をされたかだけは
何十年経っても消えないからな。

じわじわと年をとるに連れて、結構、際どい事されてたことに
気づく苦しみは、嫌なものです。

そして、普段めちゃくちゃ優しく、いつも遊んでくれる父親
このデリケートな事件について、どう声をかけたらいいか
人知れず悩んでいる様子もなんとなく覚えています。
心配かけたでしょうね。


それから、事件にあった当日の洋服を全部捨てると
母が言い出し、大好きなクラスの先生からもらった靴下を
捨てられた時は、すごく残念だったなぁ。

やっぱり色んな人が悲しむね。やだやだ。





男性不信の主な原因の克服。




今思えばこそ、本当に生きてて良かった。
性に目覚めていない私は、ナゼそんなことをするのかが、理解できずにいました。

これにより

男性 = 何をするかわからない人

という、イメージが私の潜在意識にあったのだと思います。
思えば今でこそそんなに無いですが20代前半くらいまでは
男の人が近くにいるだけでも何か嫌な胸騒ぎがするという状態でした。

希望していた高校も、男性の比率が多いってだけで
なんか無理だと思い諦めました。

私は、子供の頃より
自分で言うのもなんですが困っている人を
助けてしまいがちな性格だったので
※運動会の徒競走でコケた人に手を差し伸べたり。
単純に気になって仕方ない性格です。


そこで母親は特に私に、

  • 変な人にはついていかない!
  • 男性に声をかけられても無視して良い!
  • 男に頼るな!



といった感じで言いつけられていたのもあります(笑)
男の人に近づいてはいけない気がずっとしていました。

しかし、これは20代半ば過ぎてから少しづつ
呪縛が解かれていったような感じです。

そう、30過ぎて「男の人こわぁ~い」は
さすがに無いだろうという結論と、
ようやく数年前から、この変質者騒ぎを
笑い話として親しい人に披露できるようになったのが
大きな大きな一歩になったと思います。

ずっとずっと自分の中の恥ずべき歴史でした。

話したことで、トラウマや心の傷だなんて大げさに
するほどの大した事件ではなかった。と
自分の中で決着がついたのです。


友人の1人が結構しつこく、フランクフルトを見るたびに
「もっとピンク色だったらよかったね」
冷やかしてくるのはちょっとムカつきましたけどね(笑)